ヨハネによる福音書5章1−9a節
 私訳
1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上った。
2 エルサレムには羊の(門の)傍らに池があり、ヘブル語(アラム語)で発音すれば「ベトザタ」といって、5つの回廊があった。
3 その中には病人、目の不自由な人、足の不自由な人、体の不自由な人など大勢が横たわっていた。
4
5 そこには38年間病気の者がいた。
6 イエスはこの男の横たわっているのを見て今やもう十分長い間病気であるのを知り、良くなりたいと思うかと話しかけた。
7 病気の男は答える、主よ、水が動くとき私を池の中に誰も投げ入れてくれません。私の前に他の人が入るのです。
8 イエスは命じる、起きなさい、床を担ぎなさい、そして歩きなさい、と。
9a するとこの人はすぐに直って床を担いで歩いた。
 
 本文批評
 2節
Βηθεσδα ACΘ...
Βηθσαιδα BT...
*1
 4節
ACΘTΨなどで挿入。西方の読みの伝統か。後全体に広がる。後述。
 
 
 伝承に関する問題
 場面設定はかなり異なるが、伝承としてはマルコ2:1以降及び並行記事と重なる。この際、8節の「床」という言葉遣いから、マタイやルカではなくマルコを参照にしていることになる。HaenchenとBrownはこの考え方に消極的である。この際考えなければならないことは、「罪の赦し」の強調か「癒し」の強調か、という問題と、エルサレム当局との関係(安息日律法、あるいはカファルナウムの王の役人?)の問題である。このことは、9節b以降がマルコ3:01以降及び並行と重なることとも同時に考えあわす必要がある(ルカ13:10以降も参照)。全体統括の際にもう一度ふれる。
 
1節
 1節は時と場所の設定描写である。
 「祭り」の名称を記していない。祭りの一覧を挙げると、
 2章:過越祭、5章:?、6章:過越祭、7章:仮庵祭、10章:神殿奉献記念祭、11章:過越祭
 と、ここだけが不明ということになる。Lenskiが神殿奉献、Brownが五旬節*2、錯簡説*3を前提として過越祭、また三大祭ではなくそれとは別のもの(Morris)といった諸見解が存在するが、祭りの名前に言及していない理由はその祭りに記者が関心を示していないから(加藤常昭)であり、記者の関心はむしろその祭りとは関係のない病人に向いているといえる。*4
 続いて場所であるが、エルサレムである。祭りは神殿を中心に町を挙げて行われていたものと思われるが、2節に出てくるベトザタの池はにぎやかな部分ではない*5。ほかのエルサレム上京の時にはしばしば人々の前で説教をするが、この場面ではそれがない*6。後では神殿まで行くとはいえ、この最初の場面ではイエスが祭りのにぎやかさの外部・周辺にいたということが、1節で祭りの名前に言及しない理由として考えられるかもしれない。目の当たりにしていない祭りについての詳しい言及をしない、視覚性を重んじる記者だったということになる。
 イエスは単数で上ったのか。この場合文法的に1節が単数であるということは有力な証拠とはならない。多くの弟子の離反を経てもなおとどまった忠実な弟子とは一体だったという仮説も錯簡説を前提にすれば成り立つし、逆に2:13で同じように単数で表記されていながら後で弟子が出てくることがある。レポーターは発表時は弟子たちとともに、という立場で発表したが、ここではそれを撤回する。まず第一に5章全体で弟子などの同伴者に対する言及はいっさいない。5章19節以降で述べられる「あなた方」もすべて敵対者に向けられた言葉である。しかしなによりも、ここで弟子たちがいたら、何らかの反応を弟子も要求されることになり、6章になって初めて弟子たちが離反を始めることが説明できないからである。従って、ここでは単身乗り込んだと考える方が無難。
 
2節
 ヨハネでは「エルサレム」とは普通神殿周辺をさすが、ここでは門の外側でのイエスの振る舞いに言及する。場所を確定するために2節がある。
 池の名前の呼び名が諸説に別れている。。
 ベトザタ(地誌的には正確。エウセビウスの「オノマスティコン」によれば犠牲の献げ物の動物の地を洗ったので池の名前は正確には「羊の池」だという。ほかに同意見としてキュリロス)の線。新共同訳、RSV,NTD,TEV,Hermeneia,岩波。
 ベテスダ(憐れみの家。もっとも慰め深いことばだが確たる根拠はない)の線。口語、塚本、バルバロ、新改訳、フランシスコ、NIB、スローヤン、KJV、Jeremias、ルター、ウルガタ。
 ベトサイダ(一番広く流布しているがガリラヤ湖畔の漁村のことなので誤記ではないか)の線。Brown。
 「ヘブライ語では」という表記はほかに19:13,19:17,19:20,20:16。これらはそのヘブライ語の「意味」が必ず付与されている*7。しかしこの箇所だけ付与されていない。これは、読者にとってあまりにも自明の言葉だったからとも考えられる。それなら、「ベトザタ」と表記しながらもベテスダと発音し理解することがあり得るような会衆・読者層が想定できる。いずれにしてもヘブライ語への言及はヘブライ語を普段使わない会衆・読者層*8を想定しているか、特にここではっきりそうだとわかる何か*9を言いたかったかのいずれかである。
 「五つの回廊」への言及はなにを意味するか。五旬節と関係あるのではないか(Brownが紹介する教父たち)とかモーセの律法と関係あるのでは(アウグスティヌスほか多数)といった説がある*10が、五という数字は4章の夫の数と6章のパンの数が相当する。数字が即座に何らかの意味を持っているという寓意的解釈の傾向は退けられなければならないが、特に12と5という数字にはそれぞれ何らかの意義がある可能性がある。少なくとも聖書記者が思い入れを込めている可能性がある。ここで言うならば、五つの回廊とは要するに二つの池のことである。しかし記者は二つの池とは書かなかった。それは五という数字に何らかの感慨を覚えたからである。従って、この記者が実在する池を目の当たりにした*11とまでは言えなくても、伝承の中に五つ、という数字はすでに入っていたことになる。これは当該箇所が独立して治癒の伝承として独立的にすでに成立していたことを示唆するものではないか。
 「羊の門」とは何か。これは真偽のほどは正確ではないが一応筋道の通った説明が『図説新約聖書の考古学』pp.196et208からなされうる。
・神殿の北東にあるタディ門である。
・ネヘミヤ記3:1と同一である。
・ミシュナ(ミドート1:3)によれば「何の目的もない」。ただしこれは祭儀上の意味であって、通行はあったし犠牲の献げ物としての羊はこの外で売っていた。
 これらのことから、すべての人が知ってはいるがそう重要ではない場所としてこの池があった、という考え方である。後でも問題にするが、ユダヤ人たちはこの池の周辺で起こったことについてはあまり関心もなく問題にもしなかったと思われる。
 
3節
 Brownはここでも時についての示唆が得られるとする。すなわち、「この事実が季節は冬でないことを示す」。Haenchenが支持。冬には彼らはどこかに搬送されている?
 しかしここで聖書記者が言いたかったことは、これらの人々が「人格」を持たないものπληθοs(ヨハネではこの単語はほかには21:06のみ)として扱われていることではないか。
*12
(4節)
 西方教会では200年のテルトゥリアヌス、ギリシャ教父としては400年のクリュソストモスが最初にこの挿入の存在を示している。ヨハネの言葉でない単語が7つも使われているが、一方で池の効能についての正しい説明となっている(Hanchen)。現代の聖書学者は間欠泉(Morris)ないし隠れた用水路(多数)と言った理解を示しているが、それは伝承を理解する手助けにはならない。クリュソストモスの註解は「水そのものに治癒の力がない」ことを強調する。それもよいかもしれない。あるいはキリストではなく天使的なるものに頼らざるを得ない病人たちの状況を描写したいのかもしれない。
 
5節
 まずは三十八という数字について。「当時の平均寿命を越えている。最悪の例。イエスはそれを知ってこの男を選んだ。(Lenski)」とか申命記02:14の理解、ないし40年という約束の年限に少し足りない(Bernard、アウグスティヌス「足りないものは愛」)といった諸説があるが、四十という苦難からの解放の年限の数字を意識していたという説明はこの章の後半のモーセへの言及との首尾一貫性は持つ。とするならば(2節の説明とあわせれば)当該箇所の伝承は独立して存在していたにもかかわらず41節以降の記述と関連することになる。しかしBrownが示唆するように、あまりその年限の数字にこだわることには意味がないかもしれない。また、彼は「38年そこに居続けたとは限らない」ともいい、数字には意味を与えようとしない。
 ここで意味があるのは、πληθοsが男(ανθρωποs)として認識されている、ということであろう。もちろん聖書記者がこの男に注目したのはキリストの視線がある。
 
6節
 キリストの視線は「人々」の中の一人であるこの「男」をとらえた。それはあまりにも長すぎる苦悩を知ったからなのか、それとも何かもっと別の理由によるのか。いずれにせよ弟子をもとらえたあの「視線」はここでこの男に向けられる。
 「知った」とは何か。「せいぜい群衆の会話から伺い知ったのであって超自然的な力ではない」(Bernard,Morris"The Reflection")と「イエスにはある特殊な能力(2:25、4:17と同じ)がある」(Brown)とかが対立する。
 群衆や搬送する人が教えてくれた、という推理は成り立つ(弟子たちが、という説は前述のように否定される)が、それは前者の意見に汲みするものである。逆の意見に汲みする要素としては、ルカ13の治癒伝承が同じ状況(11節)で症状説明を記者の手にしているところを見るとやはりヨハネ独特の「知る」という用法がここで用いられていると考えることができる。後者の立場に立つと、次の問いの持つ独特の意味合いがなおいっそう濃厚になる。
 「良くなりたいか」という質問の意図は何か。シュルツなどはこれを「理解できない問い」としているが、「絶望への安住」から引き戻す力(松永)が『地上を歩く神』など最近出ている福音派系の説教・註解書でも支持されている。この男は願いをするに至る道筋(How)を答えることはできるが、希望そのもの(What)を口にすることができない。
 
7節
 初対面のものがイエスに「主よ」と語りかけるのはヨハネではそう珍しいことではない。病人の答えはイエスの「良くなりたいか」に対する答えとしては不十分で、池との関わりでしか自分の病状を答えることができない。従ってこの男に信仰があったとは言いにくい。男は人に介助してもらわなければ動くことはいっさいできなかった。
 
8節
 イエスが命令によって病気を癒すのはヨハネの中なら9,11章、また共観福音書ではマルコ2章(これはほぼ同じ)、3章など、多い。
 
9節a
 「すぐに」の強調はマルコ2章の並行箇所に近く、ヨハネとしてはむしろ異例である(Bernard)。あるいはルカ13章13節。しかし、あまりにも早いこの治癒は彼をすぐにイエスから離れて歩かせ始めてしまい、男はイエスの名を聞くことも礼を言うこともしなかった。
 
 
 この箇所のまとめと付加
 ここまで、当該箇所を、何らかの意味で以前にまとまっていた伝承を元にヨハネ文書として必要な修正が加えられているのではないかという仮説の元に、考察をしてきた。それによれば、たとえば祭りへの言及や「知る」という言葉遣いはヨハネ独特なものだが、命令によって病気が治るのはむしろ共観福音書と共通である。また、ここには「罠」の設定がない。共観福音書では(たとえばマルコ3章)「罠」にもひるまずに宣教を続ける点に十字架に至る悲劇がある。ところが、ここでは「床を担げ」という命令故にユダヤ人の敵意を買うというモチーフは、作戦にはまってしまうよりももっと積極的な十字架への道の志向が見いだされる。これについては後述。
 また、当該箇所はユダヤ教の洗礼の無意味性を言っているのではないか(テルトゥリアヌス、クリュソストモスほか古代教会の教父、Cullmann,Niewalda)という説もある。良くなりたいか、は原始的な洗礼問答だった(Brownの紹介)、というのである。寓喩的解釈を徹底的に斥けることで有名なアンティオキア学派の代表的説教者であるクリュソストモスもこの説をとっていることは注目に値する。確かに、ほかの奇跡は会堂の中や人の多いところで行われているのに対し、この奇跡は注目のされにくいところで行われている。しかし、それなら9章のシロアムの池で洗え、という命令はどうなるのか。結局、この伝承はヨハネが任意にベトザタの池を指したのではなく、そこにはすでに何らかの結合が最初からあったのであり、しかし古代教会の解釈史として、比較的早い段階から洗礼への注目がこの箇所においてなされていたのだ、と考える方がよいであろう。
*13 さらに、ここで男が指弾の対象にされていることに注目したい。もっと単純に、歩けと命令はするが床を担いで歩けと命令してもよいように思われる。しかしそれでは律法に違反したのはイエスだけであってこの男が巻き込まれることはない。9章の記事ではむしろイエスだけが本来的当事者なのである。
 
 5章全体統括
 まずは18節までが一区切りなので、そこまでで見る。9節後半の安息日への言及はルカ13章10節以下の記事と比べても唐突に見える。つまり、9章前半まででかなり独立性の高い記事であるように見える。その上で状況描写は13節で一区切り、18節で大きな区切りを迎える。ここまでの視野で見た場合、9節後半での言及は大きな位置を占めている。この一言によりユダヤ人が登場するのである。
 男は決して事件の当事者であることを肯定しない(15節)。ここが自主的に巻き込まれていく9章と大きく違う点である。この点でイエスの真性の弟子を9章の男は象徴しているとも言えよう。しかしイエス自身は5章の段階でも決してこの安息日違反事件の当事者であることを否定しない。むしろ、17節での父なる神との同一性まで宣言をするのである。この積極性の故に敵意は速いテンポで殺意に転化する。
 5章全体は、19節以降が説教であり、それを導く事件として当該箇所(ないし18節まで)が存在する。松永氏の言うように、ここには「神とイエスの同一・一体性」「永遠の命の与え手」「終末論的な裁き」のモチーフがある。癒しを二番目の事柄の敷衍と考えれば(そしてそれは役人の息子の治癒とつながるのであるが)、これが「罪を犯してはいけない」という言葉(三番目の事柄。しかし彼は結局それをしない)、17節の言葉(一番目の事柄)とが含まれていることになる。
 さらに5章がほかとどういう関係にあるか。第一には古典的な錯簡説との対決があるが、ここでは一つだけ。それは弟子の離反(6章)とユダヤ人の敵意をどちらが先のものととるか、という問題で考えるという視点である。弟子の離反はいったん教会に来ながら最終的に脱落する人々を象徴し、ユダヤ人は教会を取り囲む敵対勢力の人々を象徴しているのだから、このどちらが先になるか、という問題になるのではないか。より深刻な問題は弟子の離反であり、先にそれが起きたというのは教会史的順序で言ってもおかしい。もしこれを理由として5章と6章を入れ替えたのだとしたら、錯簡は相当自覚的なものだったということになる。*14
 9章との関連。記事としての相似性を指摘する説は多いが、上述したようにイエスが最初から巻き込もうとして離反した5章と自覚的に自らを事件に巻き込ませた9章では癒しを受ける側の当事者感覚(キリストとの関係を自覚する、すなわち信仰)が大きく異なる。永遠の命の与え手である御子イエスにつながるかどうかという問いはユダヤ人の殺意にさらされることを受け入れるかどうかということを意味し、それは直ちにこの世の人を二分する(裁く)のである。
 
参考文献(順不同。著者名などを日本語で表記してあるものは邦語版)
ICC,Bernard
現代聖書注解,スローヤン
NTD,シュルツ
新共同訳聖書注解,松永
The Interpretation of St.John's Gospel,R.C.H.Lenski,
Hermeneia,Haenchen
Anchor Bible,R.Brown
ヨハネ福音書連続講解説教,加藤常昭
一人子なる神イエス,松永
ヨハネ福音書講解,アウグスティヌス,新教出版
Reflections on the Gospel of John vol.1,L.Morris,Michigan,1986
ヨハネ福音書(中),モリス,聖契授産所,1996(原本はNIC,1971,Michigan)
The Mishnah,Neusner,Yale,1988
図説新約聖書の考古学,関谷定夫,講談社,1981
新約聖書釈義辞典
St.John Chrysostom Homilies on St.John1-47,The Fathers of the Church,CUA Press,trans.by Sister Thomas Aquinas Goggin,S.C.H.,1957-1969
地上を歩く神,喜田川信,教文館,1999

*1『図説新約聖書の考古学』pp.207ffによればさらにいくつかの可能性がある。後述
 
*247節のモーセへの言及から。
*3これについては後で触れるようにレポーターとしては積極的にはなれない。
*4祭りの名前が明記されていないことからこの話が歴史性に乏しいという説もかつてはあったが、現在は地理的な調査の結果2節で述べられる池は実在し、5つの回廊も存在していることが判っている。
*5もちろんガリラヤからエルサレムに上るときの通り道でもない。
*6神殿の境内への移動は14節。
*7ほかに01:38,01:41,01:42,07:36,09:07参照。
*8たとえば異邦人世界。しかし今日ではそうはあまり考えない。新共同訳聖書註解参照。
*9たとえばこの池には慰めがあるのだ、といったような。
*10これらはいずれもベトサダの池の伝説はユダヤ教的救いの道筋を象徴するという理解である。
*11とすれば神殿崩壊以前にかなり頻繁にこの池を見るような生活をしていたことになる。目の当たりにしていない祭りに言及しないことといい、やはり記者の視覚志向が伺われる。
*12 黙想に入ってしまい釈義としては蛇足であるが、ここに出てくる病人は彼ばかりではない。そこでいやされる男以外の病人についてのコメントを先日の夕拝の説教でしてみた。
(該当部分引用開始)
 目が見えない人はその目をシロアムの池で洗うのがよいでしょう。その人は罪あるものよりもよく見えるようになることでしょう。足の不自由な者は十字架におかかりになる前の日に主が洗ってくださるでしょう。主の教えを伝える美しい足となるはずです。体が麻痺しているに人は主が釘あとのついた手をかざしてくださるでしょう。我が主よ、我が神よと告白する口と体を与えてくださるはずです。
(引用終了)
 
*13 やや釈義を離れて黙想的な段階に関心を向ければ、この命令による癒しは、イエスの独特の権能を表しているように思える。もっともスマートな癒しは、彼を抱きかかえて池の側に立ち、天に祈って水を動かさせ、その直後に男を池に放り投げればよいのである。これも10節の律法違反の指摘(その根拠はミシュナ(シャバット7:2))は免れ得ないが、治癒行為そのものが律法違反なのならイエスのみが指弾の対象であるのだが、少なくとも現場で取り押さえられることはなくなる。いわばスマートな治癒が可能なのである。これはまず御使いの力を借りずにイエスの独特の力によって治癒をすることがここで必要だったのであろう。
 
*14ただしロケーションの問題などからして当初6章⇒5章の順番で書かれたことは否定しにくいだろう。