教会法、特に議事録審査を巡って


 以下の問答は、教憲・教規を解釈する立場にある、ある教職とのやりとりに基づいていますが翻案及び文責は上田にあります。
問い:「教憲・教規解釈の先例集」の改訂版が出ました。いろいろ興味深い答申が載っていますが、今回は「議事録審査」に関する議論をしてみたいと思います。教会総会など記録審査のことに関して、「教会記録が正確に記録されているかどうか(形式審査)」「教憲・教規の明確な違反がないかどうか(内容審査)」というような記述がありますが、この「形式審査」「内容審査」という語法は先の信仰職制委員会の使用したもののようです。両者の連続性は、どう理解すればよいのでしょうか。「形式審査」では問題ないが、「内容審査」では問題があるという場合もあり得ます。もちろん技術的にチェックが可能な範囲は自ずから生じうることはあるにせよ、「形式的審査」という言葉が一人歩きすると、教規違反かどうかの審査を、一部の条項のみに限って行うことを容易に予想させてしまいます。これはあまり合理的ではありません。ここで言う「形式的」と「内容的」を合わせて「形式審査」をする、という語法の方がわたしにはぴったり来ます。(これに対して「良い会を開いた」かどうかというのが内容審査に相当する)
答え:新しい答申の方では、「しかし」という言葉で、実質前の見解を修正しています。そして、「審査すべき事柄は、各個教会の総会、役員会の記録がなされ、また書式として正確に記録されているかどうか」の「形式審査」にあるとしています。先の答申ではこの内容審査を含むと言っていましたが、新しい答申では、それは審査対象にはしていません。長老教会の中会では当然の審査ですが、組合教会ではその権限はありません。教団では、その中間の形式審査になるのでしょうか。

問い:「記録がなされ書式として正確に記録されているか」という風にいった場合、どこまでは審査してどこからは自由にするのかがまだよくわかりません。長老教会ならたとえば「信仰告白を否定している場合はだめ」とかよく聞きますが、先生のいう「教団の場合」はたぶん信仰告白を否定した教会規則変更が教団に出された場合は当然同意を拒否するという話になると思います。信仰告白を否定する決議があがってもそれが決議だけならだからなんなんだというか。教憲・教規違反がないかどうか確認するために記録審査をおこなう教区もあると思いますが。政策レベルの問題でしょうか、それとも法理レベルの問題でしょうか。教区総会の処理事項ですから、そこで決まればそこまで踏み込んで出来ると思います。
答え:長老派の中会であれば、権限があり、違反があれば中会が小会を指導することになりましょう。教団では権限が無いと考えるのが妥当ではないですか。たとえば、未受洗者への陪餐を認めるとの教会役員会総会決議があったとして、記録審査委員会はそれを読めば分かりますが、それには触れないことになります。教区としても、その問題を取り上げることが出来るのは、それが規則変更として申請された場合、または教会員から訴えがあった場合に限られるのではないでしょうか。そうでなければ、何らかの情報により教区が教区牧会の問題として取り上げるか。いずれにしても、記録審査という場面での審査によることは出来ないと思います。

(教規66条、総会議事規則第43,44条など)
2003/04/14(月) 
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