「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」

(教会と国家の分離を巡る議論の緒論めいたもの)
基本的にまだ神学のイロハもわかっていない若造(神学校入って一年未満)の書いた文章です。笑いながら流して読んで下さい。 98/01/02(金) 11:56 改訂
 まず今回お話ししようと思っていることのあらましを述べてから、なぜそのことについて論ずる必要があるかという、いわばモチーフについて申し上げて、そのあとに実際にその問題について考えるという仕方で論じていきたいと思います。
 今日お話ししたいことは、主には「キリスト教と国家」という話になると思います。そしてそのこととの関連で「キリスト教と民主主義」、もっとはっきり言えば「キリスト教会と民主主義」ということについてお話しする。そういうことになると思います。
 それで次がモチーフですよね。
 まず第一に考えていることは、「伝道と民主主義」との関係ということです。伝道と民主主義とは相反するのか、しないのか。適合するのか、否か。
 これは結構具体的な問題としてみなさんがお考えのことと思います。たとえば、家族で自分だけがクリスチャンだったとする。あるいは一人を残して他の人がクリスチャンだったとする。またそれとは別個の問題として、「信仰の継承」の問題があります。ここで言う「信仰の継承」とは家族の伝統として守られていく宗教のことを指しています。キリスト教の2000年の歴史の中で、「家族」を意識しないで伝道が成されたのはきわめて限定された時代とさらにきわめて限定された地域だけであり、圧倒的大部分の諸地域・所持代・さらには諸教派において信仰とは「家族」や「地域共同体」として伝わっていったことは多少とも伝道の歴史を繙けばおわかりのことと思います。では、信仰の継承とは民主主義国家(これもまたきわめて限定された地域・時代における理念の現れでありますが)において制限されるべきなのか。これは結構おもしろい問題だと思います。
 第二に、「キリスト者がなぜ宗教的寛容を言うのか」という問題です。宗教的寛容を言うのは、少しだけ考えれば啓蒙主義的合理主義者のような気がすることでしょう。あるいは合理論的無神論者のお家芸と思っておられる方もおられるかも知れません。しかし、歴史的にキリスト教国家が他の宗教国家に比べて著しく進んで宗教的寛容すなわち「信教の自由」について法的な整備をなしていることは明らかであります。これはキリスト教が本質的に合理論的無神論者と一致するから、すなわち「薄い」宗教であるからでもないし、もはや崩壊しつつあるからでもありません。宗教的寛容の要請はきわめてキリスト教的な考え方から出てくると言うこと、そしてキリスト教が宗教的寛容を主張するとき、実はキリスト教は自分の首を絞めるわけでもなんでもなく、実にキリスト教がキリスト教らしくなると申しますか、そういうことが言えると思います。
 第三に、今までは「教会と国家」あるいは「教会と人間」(今の段階では「教会と個人」と言った方がいいかも知れません)との関係についてのモチーフだったのですが、今度は「教会における民主主義」の問題について考える必要があると思っていると言うことです。
 日本基督教団というのは実におもしろい教団で、まあおもしろいと思ってつきあっているのですが、本当におもしろいことを言います。最近のことで言えば、1995年の春に行われた日本基督教団兵庫教区の教区総会において、正規に選出された教区議長が、ある方(正真正銘の牧師です)の発言でその選出が撤回され、別の教区議長が再度の選挙によって選出されるということが起きました。おもしろいですねえ。兵庫教区は他にもいっぱいおもしろいことをやっていて、話題には事欠きません。ま、いろいろ理屈は付けていますが、本当のところ、そしておそらくこの考え方については彼らは否定しないでしょう。「一票の重みは人によって違う」もっと正確に言えば「投票の平等は量的な平等ではなく質的な平等である」ということ、彼らはかなり自覚的にそう主張するはずです。これとほとんど同じ現象をお話しします。今度は教団総会議場での話です。日本基督教団では、教区から議員を選出する際のやり方について、教区総会議員(教区総会議員が互選で教区選出の教団総会議員を決めるのです)10人選出するなら10人全員の名前を書くやり方と、10人選出するにしても1人しか書かない、あるいは書いても2,3人しか書かないという単数記名ないし少数連記のやり方があります。これについて教団では教区ごとにやり方が違うので議論がなされています。この教団総会議場において、やはりこれまた兵庫教区選出の議員が、こういう意見をおっしゃいました。これが歴史上の珍事なのかそれとも日常茶飯事なのかについては歴史が判断するでしょう。

 優れた意見の持ち主がいて、他の人がそれに屈することがあってもいいのではないか。そういう意味で、単数記名投票を主張する。

 つまり彼の意見はこうです。単数記名投票は、選挙運動で操作がしやすいので、優れた意見に耳を傾けることが出来るごく少数の人が選挙者の中にいればその優れた意見を主張した人を選出できるシステムである。今ここで「優れた」という言葉を使いましたが、これが先ほどとの関係で申しますと「量でなく質」ということになります。それに対して「量」を主張するとどうなるかといえば、議場の意見をもっとも反映するのは選出人数と同数だけを選挙人一人一人が記名するといういわば「全数連記」に行き着くと思います。結局のところ教区によってその考え方は様々でありまして、少数連記ないし半数連記というvia mediaすなわち中道の線を選択しようという意見があります。via mediaという考え方そのものはぼく自身が熊野義孝先生の中から学んだ考え方でもあるし、積極的にしていきたいと思っています。しかしそこにおいて何と何の中間であるか。もしそれが今みたいに二つである場合には、つまり全数連記と単数記名とのvia mediaとして少数ないし半数連記をするという場合、全数連記と単数記名の両方に真理契機があるということを認めていることになります。では果たしてその両方に真理契機があるのか。
 ちょっと長くなってしまいましたが、この問題についても考えてみたいと思います。

 さてさて、風呂敷をずいぶん大きく広げてしまった感がありますが、これらの問題について、微にいり細にいって議論をすることは出来ません――しかも常に「問題は細部に宿る」のでありますが――。そこで、これらの問題を考える、みなさんが考えるにあたって最小限の知識と論理の組立方だけをお示しして、ぼく自身が考えるきっかけにしながら整理をしていきたいと思います。

 いくつかあるのですが、最初に要点を示したいと思います。まず第一に、「教会と国家の分離」という言葉と「政治と教会の分離」という言葉との違いについて考えてみます。それから「人間が民主主義的である」ということと「国家が民主主義的である」ということの違いについて説明します。ここまでは哲学ないし政治学の領域ですね。それからあとちょっとだけ神学的な考察もしないといけません。神学的にこの問題を考えようとすると、必然的に教会の「上層部分」と「下層部分」の区別、そして両者の関係についての議論を引き起こします。そのあとでまた戻って「民主主義とは私たちにとってなんであるのか」ということをいえばだいたい今日考えていることの全部だと思います。

 ここまで枠組みを整えたら、あとは調理をするだけなのですが、教会と国家の分離と政治と教会の分離という言葉の違いについてまずお話しします。教会と国家の分離とは、アメリカ合衆国憲法修正第一条の条項を指します。これを起草したのがトーマス・ジェファーソンであるということとか、その時にモデルとしていたのは一般にクウェーカー教徒の多かったペンシルヴァニア州だったとかいうことについてはさしあたって問題ではありません。とりあえずここで言われていることがどういうことかといえば、「その人の宗教的背景がなんであれ、国家の政治参加についてなんの妨げにもならず、また国家は特定の宗教に有利な政策をしてはならない」というものですね。日本で靖国神社に国会議員が公式参拝(つまり公的な身分として参拝すること)がいけないというのは日本でも国家と教会の分離が憲法で明記されているからです。日本ではこのことを「政教分離」というので大変にごちゃごちゃしていますが、今から申し上げる「政教分離」とは発想が全く違います。ですから、ここではかりにこうしておきましょう。「新聞で目にする『政教分離』はこのお話の中では『国教分離』と同じである。教会で口にされる『政教分離』は今からお話しする『政教分離』のことである」。
 ややこしくなってしまいましたから、ちょっと頭の体操をしましょう。ルターという人がいます。もちろん、私たち福音主義教会の実質的な創始者であると言っていい。福音主義教会(プロテスタント教会というのはローマ・カトリックがつけた呼称ですね)が福音主義教会といわれるゆえんは、もちろんルターが「福音のみ」を宗教改革の三大原則の一つにしたからですね。「福音のみ」というのはすごく大胆にディフォルメすると「喜びのみ」ということです。そうすると、ルターは喜んでいた人ということになる。宗教改革が1517年に始まったとすればその10年ちょっとしてから、ルターの主張はドイツで一世を風靡したわけですね。ドイツにトーマス・ミュンツァーという人が出てきて、貧困にあえぐ農民を指導して大反乱を起こしました。ミュンツァーはルターの影響を受けた人で、彼によれば福音主義を標榜するルターは自分たちの反乱を支援するはずだ。そう考えたのです。それに対してルターが、最初は肯定的だったのですが途中から態度を変えます。そしてこう言うのです。「私の福音はこの世と関係ない」。ここでいう「福音」と「この世」とはどういう関係にあるのか。「福音」というのは「教会」のことですね。「この世」というのは「政治」のことです。ルターは一種の二元論を採ったわけです。これが教会でいうところの「政教分離」ですね。福音主義教会がルターを基点としているのだから福音主義教会がみんなこの「政教分離」、すなわち政治から超越したところにいたかというと、そうでもありません。カルヴァンはやはり政治と教会とを分離してはならないと考えました。そこにおいては「神権政治」ということも考えられたわけですね。政治と教会とがあらゆる意味で一致していないといけない、というのが極端な意味での福音主義教会的アンチ・ルターだとすれば、そういう例はすでに16世紀からあったわけです。
 しかしまあ歴史的に言えば、「政教分離」もあるいは「完全な政教一致」もキリスト教会においては主流派となったことがありません。その中間すなわちvia mediaが常に問題となったわけです。それはどういうことかと言えば、「同じ政治に参加するにしても、教会独特の参加の仕方があるはずだ」というものです。教会独特の参加の仕方。これは福音に目覚めた人でなければわからない政治参加の仕方ということです。これを具体的な歴史事例でいえば、ピューリタンがそうです。その背景とは、おおよそこういうものです。すなわち、ルターは福音ということで内面の自由を考えた。その自由とは、最初は内面にとどまるものであるが、次第に外面へと広がっていく。ピューリタンとは、自分にはきわめて厳しいのですが、他者に対しては大変に自由に接します。この特質が歴史を形成するのに役立ったのです。
 ピューリタンがアメリカに移住してそれぞれ特質を異にする州を作っていくのですが、わかりやすい例としてまず小粒でぴりりと辛いクウェーカーについて触れます。先ほどちょっと申し上げましたように、クウェーカーはペンシルヴァニア州に多く移住しました。彼らは本国イギリスでは弾圧され、自由な国、アメリカに多く移住したのです。彼らは他の州にならって政治の三権分立をしました。議会も行政も圧倒的大多数はクウェーカーなのですが、クウェーカー・コードはありませんでした。それは「(自分が)弾圧されないように(他者を)弾圧しない」という彼らの精神の現れなのです。ここに彼らの特質がよく現れています。だから、トーマス・ジェファーソンがこのペンシルヴァニアをモデルとしてアメリカ合衆国憲法修正第一条を起草したというのは、この彼らの精神を引き継いだということになります。つまり、「教会と国家の分離」というのは、きわめて「政治的な」主張なのです。その始まりは「政治と教会の分離」という「非政治」あるいは「没政治」的な発想であったのに、それはきわめて「政治的な」主張へと変わっていった。そういうことが言えると思います。
 こういう区分けをすれば、「教会と国家の分離」と「政治と教会の分離」は別物であるということ、そして新聞では「政教分離」といえばどっちかといえば「教会と国家の分離」の意味合いで使われているのに対して、教会で「政教分離」といえばどちらかというとルター的な「教会は政治に関与せず」の意味合いで使われることが多いということが言えると思います。教会が正しい意味合いで「教会と国家の分離」をいうとき、それは「宗教は心の中の問題だけ取り扱えばいい」といった狭隘な宗教観をもはや払拭しているのです。
 さて、次の問題に行きます。「人間が民主的である」ということと「国家が民主的である」ということには違いがある。これはどういうことか。
 こういう命題を考えて下さい。ある人が、いいですか、ある人、ですよ。こう言った。「国家が民主的であることはよくない。王政こそが最良の政治体制だ。民主的な国家は転覆されないといけない」。この主張が、合法的に、ここで合法的というのは電信柱にビラを貼っちゃいけないと軽犯罪法が言っているとかいうのではなく、「法の精神」です。つまり、公共の福祉の精神ですね。「言う」ことと「やる」ことの間には違いがありますから。それで、今みたいに言った人の意見が公にされることを認めるのは、民主主義的国家のシステムが潤滑になっているときです。だから、それに対する反論があればその反論も認める。これまた民主主義です。民主主義的な国家というのはだから「中立」なのです。それに対して、民主主義を否定する人の「態度」は民主的ではない。つまり、こういうことです。民主主義を否定する意見を認めることは民主的なシステムであるが、その人の意見は民主的な態度ではない。
 国家は人間ではありません。人間は「態度」を取れるけれども、国家は「システム」しかないのです。この間の事情をよく言い表しているものとして、ペンシルヴァニア州の最初の指導者であるウィリアムズ・ペンの主張に耳を傾けてみましょう。ペン、とはペンシルヴァニアのペンと関係があります。それは彼のお父さんを記念してとられたようですが、ウィリアムズ自身はその名前が自分が初期の指導者となる州についていることには抵抗感があったようです。

 政治は時計のようなもので、人がネジを巻くことによって動く。それゆえ政治は人によって作られ、働き、壊れる。政治は人々に依存するのであって、人々が政治に依存するのではない。
 by Colonial Records of Pensylvania(『アメリカ教育理念の形成』、村田邦子64ページより引用)
 民主主義に対しては今から言うような誤解があるようです。民主主義とは中立を指すのだから、そこに参与する人の価値観も中立でなければならない。これは全くの間違いです。NHKが中立や不偏不党を標榜しているからといって、人間が中立でなければならないというメッセージをそこから読みとるとすれば、それは大きな誤りです。それは今申し上げたとおり、国家が民主主義的な価値中立のシステムであるということは、人間が同様に価値中立でなければならないということとは関係ない、ということなのです。しかし、その人間は同時にそのような民主主義を認める、ということです。
 だから民主主義と伝道との関係の問題についていえば、伝道がこの民主主義的国家で行われているということはどういうことなのでしょうか。それは「キリスト教徒にあらずんば人にあらず」でもなければ何か他の宗教に入っていなければ人にあらず、でもない。そして無神論でなければ人にあらずでもない。そういう国家だということです。
 そして自分の宗旨をはっきりしておくということは民主主義的国家においてより一層重要であるということです。それから、民主主義的であるということは他人の宗教に不干渉であるということでもありません。このことを言うときにはすぐに「しかし民主主義の原則は守られなければならない」と付け加えねばならないのですが。実際問題としてはしかしながら他人に伝道することが民主主義の原則に背いた形で実際になされるということはほとんどないと思います。人間が民主的な態度をとるということは、要するに自分の宗旨ははっきりした上で民主主義というシステムを認めるということです。
 国家のことに目を向ければ、次のようなことが言えると思います。いや、実際の所、日本は民主主義的な国家じゃないと思いますね。本当に。確かに憲法ではそのことがうたわれていますが、地方に行って伝道しようと思ったら、地縁血縁の世界ですよ。教会が氏子だったりするわけですからねえ。少なくとも地方で、民主主義ということが「戦い」を意味する言葉となりうることは覚えておいていいと思います。そして、日本が本当に民主的な国家であれば、キリスト教はのびますよ。もっと。
 そのためには我々自身が民主主義的な感覚を身につけておかないといけない。具体的にいえば、教会会議のことです。「質より量が大事だから」といっていったん投票が確定した選挙をやり直してみたり、選挙運動がやりやすくて、質的に優れた意見を持つ人が通りやすいようにと言う理由で単数記名投票を主張するようなやり方は、さっき言った「価値中立」の原則に違反していますから、その人の態度は民主的な態度とは言えない。
 そうするとですよ、次の問題は、教会は果たして民主主義か、という問題なのです。民主、ということは「ひと」が主、という意味です。これは字義通りの意味であれば間違いなのはすぐおわかりのことと思います。「神が主」というのが正しいわけですよね。それでよくある議論が「神が主なのだからさっき言ったような量だけを重んじた民主主義は間違いである」という行き方です。これは一面の真理をあらわしているのですが、すぐさま全面的な真理ではない。
 すぐに言えることは、民主主義というのは決して頭数第一主義ではない、ということです。民主主義においては「公正」さが最優先されるのであって、頭数をとる多数決というのは最後の手段です。不可欠ではあるかも知れないけれども最終目標ではありません。民主主義そのものが大事なのではなく、民主主義という政治形態をとって出てくる意見が大事なのです。そしてそのためになされる多数決とか選挙というものは、形式です。言ってみれば「華麗なる形式主義」、これこそが民主主義を教会で取るとすればその唯一のあり方でしょう。(「華麗さ」とは、本来「形式主義」とかけ離れたものであると思われています。ぼくもそう思います。しかし、ここで自覚的に、その形容矛盾を犯さないといけない。今のところそう思っています。この点は実は今回の話の中でもっとも急所だと思われますから、自分自身でもうちょっと考えてみたいと思います。)問題はその「華麗さ」とは何か、ということですが、それは何らかの価値観に他なりません。ここで言う価値観とは、生き方そのもののことです。そして、はっきりしたものでなければなりません。国家における民主主義とは、「真理とはなんで(what)あるか」を求める民主主義であるならば、教会における民主主義とは「すでに明らかである真理が、いかなる形で(how)現れるか」という問題なのです。そういう意味で、形式的に取っている教会の民主主義は、ある特定の価値観に彩られていることになります。この関連のことは、A.D.リンゼイの「民主主義の本質」が、ちょうど今のと完全に逆の順番で全く同じことを論じているので、ご参照下さい。本当はリンゼイについてはもっと中心的に扱うべき事柄がいくつも含まれておりますが――たとえば民主主義における「言語によるコミュニケーション」の問題など――、ここではそれらは扱えません。

 今ちょっと話を出したのですが、教会が民主主義であるということと、教会において(少なくとも教会では完全に明らかであることに)神が主であるということとはどういう関係があるのでしょうか。そのことをはっきりさせておかないと、教会会議で民主主義を標榜することは実はまずいことなのではないか、といったあらぬ誤解を生むことになると思うので、説明します。
 神が主である、というのはもうちょっとはっきり言えば、御言、神の御言、啓示、これが主であるということです。「主」、という言葉遣いは曖昧ですから、「主権」としておきましょう。教会における神の御言の主権。このあと「統治」という言葉遣いをしますから、ご注意下さい。神の御言の主権とは、具体的にはイエス・キリストの主権のことです。きわめて具体的な話をしているつもりです。イエス・キリストの主権性ははっきりしておかないといけません。そして、それは聖書という形で現れます。聖書は神の御言ですから、聖書の主権。ここで聖書、というのは決してそれが84巻なのか66巻なのかというような意味での聖書、ではありません。要するに啓示を示している文書、のことです。そしてその聖書を説き明かしている説教。これは説教者ということではありません。この「イエス・キリスト、聖書、説教」、これを御言の三形態というのは、言うことだけでも覚えておいていいと思います。
 今これ、具体的な話をするといっておきながら、全然具体的ではありません。なぜなら、イエス・キリストが示している啓示、聖書が示している啓示、説教が示している啓示、みんな啓示だからです。それを考えるのに「統治」の概念を出してこないといけません。つまり、主権は統治という形を取って現れるのです。教会における統治は、基本的に三つの要素によってなされます。正典、信仰告白、職制。これらはすべて、主権に基づいて教会が定めたものです。この中でそれぞれがどのような形を取っているべきかについて議論がされるわけです。主権は絶対的ですが、統治は相対的です。だから原理的には正典が一巻増えたり、信仰告白が新たに制定されたり、職制が変わるということはあり得ることです。(といいながら、実際問題としてはあり得ない順に並べてみました)
 さて、あり得ること、といいながらそうころころ変わっては困る。困るというか変わりにくそうです。主権の絶対性と統治の相対性。統治の相対性といいながら実際問題としては最高度に規範性を持ちそうです。なぜか。おそらく、この間の事情をバルトに対してこう言えば、バルトはうなずくはずです。

 統治は相対的である。相対的であるということは十全に認めなければならない。しかし、実際問題として正典も信仰告白も職制も、そう簡単には変わらない。
 これがバルトの感覚です。これを抑えておかなければ、バルトを教会で語ることは事実上無意味かさらには危険でさえあるでしょう。教会は歴史的なものであるのに、神の言葉の神学は常に歴史を更新し続ける力を持つからです。
 今申し上げた「バルトの感覚」を大事にして下さい。(これは先ほどの「華麗なる形式主義」と関係があることはおわかりかと思います。)これが主権と統治を貫くものです。
 しかし、今のはあんまり神学的な言葉遣いではありませんから、よりいっそう神学的な考察を必要とします。いろいろな言い方があると思います。だから今から言うことは、「見えない神の言葉」が「いかにして見えるようになるか」という問題であると思って下さって間違いないと思います。
 私たちはここに至る背景として特に優れた思想家として、ロジャー・ウィリアムズの名前を忘れるわけには行きません。彼については大木英夫先生の「新しい共同体の倫理学」(教文館)の下巻の最初の方を見ていただくのがいいのですが、この話の関係で少しだけぼく自身がそこから学んだことをここでご披露するような形になります。
 ロジャー・ウィリアムズは、終末論を強固に持っていた人物です。これは彼だけではなくて当時のキリスト教の雰囲気がそうだった、と大木先生はおっしゃることでしょう。そして終末論についての意識を持っているが故に、「もはや終末は実にゆっくりと、しかし重々しくまた厳格に」やってきはじめているがまたその一方「まだその姿を完全には露わにはしていない」と考えていました。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。(コリントの信徒への第一の手紙13章12節、新共同訳による)
 真理とはだから彼にとって「完全に把握しているものでもあり」また同時に「把握していないこと」でもあった。こう言うのを専門用語で「終末論的中間時」と申しまして、神学的にこの問題を考えるときに最終的にはこの言葉が出てこないと、嘘だと思います。聖餐がこの「おぼろに見えるもの」をかたどっているということはみなさんがすぐに思いつかれる所だと思います。神の国の食卓の前味を祝う、ということは教会が終末論的中間時を生きていることの具体的な意識の現れです。
 さらにそのことは具体的には「伝道」ということにも関係があると思います。伝道というのは、神の言葉を伝えるわけですから、いってみれば見えないものを伝えるわけです。しかし、成果は見えます。つまり、ここにおいて「見えないもの」と「見えるもの」とを貫くものとして「伝道」があるというのは言えると思います。さっきかなり唐突に「日本が本当に民主主義的であればキリスト教はもっと伸びる」というのも、伝道によって真理が歴史的に明らかにならない限り、それは言えません。先ほど「民主主義の中に生きているならば、自分の宗旨をはっきりしておくことがより一層重要となる」といったのもそういう理由です。
 だいたい一応こう言うことは言えると思います。
 
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