ドイツ福音主義教会(EKD)における牧師の継続教育の件ですが、ドイツの慣例によりどの大学で神学を学んでもよいことになっていることとの関連で、制度の上で加盟22教団(領邦教会)における顕著な差異は見あたりません。そこで、ほぼ包括的に論じられる限りで、ご参考になればと三本の柱に分けて説明します。(Landeskircheは現在の「州」ではなくかつての「領邦」から成り立っているため「領邦教会」と訳しますが、以下各個教会と間違えないよう「教団」と訳 します。)
 説明の必要上、教師補の教育と牧師の継続教育、さらに信徒への教団・神学部の教育という形で紹介します

 1.
 ドイツに16ある国立大学神学部または教会立神学校で神学を学んだ者の卒業直後の教育には、歴史的変遷があります。
 神学校・神学部での教育は60年代までは牧師養成教育そのものであると考えられ、卒業後すぐに按手を受けるのが普通でした。そのあと1年の期間、主任牧師の指導を「副牧師」として受けていました。(いきなり主任ということもある。)副牧師は教会・教団からの謝儀をもらわず、葬儀・結婚式の謝礼で生活していたようです。教会員が2000人いますから、それは単独でも大変な仕事です。今は逆に謝礼を受け取れません。教師補もまた公務員に準じた待遇・特権と義務を負うからです。後で「機構主義の問題」として再度言及します。
 68年の学生運動はドイツでも大きな影響を教会・神学部に与えましたが、この時期以降、神学部での教育は神学の教育であって牧師養成教育とは異なるという理解が生まれ、卒業生は2年間教師補として教団・教育牧師両方の指導を受け、一般的な大卒者初任給とほぼ同じ額の手当を教団からもらいます。教師補の期間、おおよそ3分の1が教育牧師の教会で、3分の1が後に説明する説教者セミナー(牧会者セミナー、実践神学センターなどともいう)で、それに3分の1が宗教教育のための公立学校で、それぞれ教育を受けることになります。
 68年の学生運動は、ご存じの通り既成の権力への反発という精神を生みましたが、同時に牧師の個人主義化も起こりました。比較的早く68年から立ち直った各教団は、一方で神学教育とは別に牧師養成教育の必要性を見いだし、按手の時期を遅らせて教師補の制度を導入したほかに、教師補の教育をグループ制度にすることなどで68年問題に対応しました。大きな教団では年間に30〜40人の教師補を新たに受け入れますが、4〜8人に細分化し、同じ地区でグループを組ませます。このグループで先ほどの三つの活動領域にわたって頻繁に関係を持ち、相互評価・助言をしあいます。私も一度(一日)ハイデルベルクで説教者セミナーに参加しましたが、8人程度のグループで授業を持ちました。神学部でやっている「教会と疎遠なアカデミックな」授業と違い、現場を知る私の経験談などを話す機会のある、こぢんまりとしながらも温かいものでした。なお、この説教者セミナーの伝統は、ボンヘッファーの告白教会にさかのぼります。
 参考までに、神学部の在籍者数ですが、80年代は黄金期といわれ、テュービンゲンやハイデルベルクなどでは2000〜3000人が勉強していました。この場合、牧師になるのはたかだか700人、それに宗教科の教師(教育学部に所属して、宗教以外にもう一つ教科を教えられる)が300人程度?です。残りはジャーナリズム・出版や公務員・会社員になりました。今は所属学生数が一番多いと思われるテュービンゲンで700人くらい、その中で牧師と教師希望を合わせて500人くらいだと思います。教団は暫時教師補の合格者数を減らし、各教会の財政難に対応する準備をしています。神学部そのものも、カトリックや、あろうことか法学部との合併などが噂されています。単位制など、時代の波は徐々にですが受け入れています。
 説教者セミナーに関して、教団の側(ビショップ)から「大学の神学教育は、考える知性ではあっても共同的知性ではない」という批判を聞いたことがあります。少し日本の状況にスライドしていえば、どの牧師も一国一城の主としてはうまくやっていますが、共同牧会となるととたんにうまくいかなくなる現状があるようです。ドイツでは、一つの教会に一人の牧師がいて、ありとあらゆる課題をこなすというのではもはや成り立たない、だから地区の5教会が共同で5つの課題を担い合う、というようなことは出来ないか、というのが私が説教者ゼミナールに参加したときの講師からの問題提起でした。

 2.
 教師補の教育はその性質上2年という期間をとって十分になされますが、牧師の継続教育の機会を得ることが簡単ではないことはドイツでも事情は同じです。大きく分けて二つあります。
 一つは、上の説教者セミナーと似ていますが、2週間から最大3ヶ月の期間を特定の施設で過ごし、授業を受講できる施設がHofgeismar, Haus Birkach, Bad Urachなどにあり、職員が100人以上いる本格的な施設もあるそうで、一部は上記の説教者セミナーの機能も持っています。こういったところで、時に若い教師補に混ざって神学を学び、牧会・説教を振り返ることが可能です。日本でも加藤先生の説教塾などで似た試みがされています。
 もう一つが、ほとんどの教団で導入されているサバティカルで、7年に一度半年間の休暇がもらえます。休暇期間の謝儀は教団から保障されています(もともと教会が謝儀を出していない教団がほとんど)が、半年間の代理の牧師を捜すのは自分の責任です。(通常、按手直後の2年間程度は教団人事の指揮下におかれ、その後フリーになります。)バイエルン領邦教会をのぞき、どこも一教団で一神学部(一部の教団は小さいので他の教団の神学部に教育委託をする)ですので、どの牧師も一つの教団の中では「似た色」を持っている以外に、こういった継続教育の際も、戻る神学部は決まっています。通常、大学の図書館は完全に出入りがオープンで、持ち出す本のチェックを受ける以外は市民も自由に使えます。また領邦教会の伝統からいって奉仕する教会から大学への物理的・心理的距離は、日本とは比べものにならないほど近いですが、ただやはり毎日大学図書館に通える環境を作ることは意味があります。運がよくこのサバティカルが活用できる環境に恵まれると、喜々として大学に戻り、ゼミに参加したり本を読んだりしています。ちなみに、この20年ほどの間に学生の質が変わり、ゼミといっても討論が少なくなったとのこと。
 ここからは私見となりますが、神学校・神学部での教育は、本質的な意味で、自主的な継続教育を必要としています。80年以前に神学校を出た人が、昔の批判的すぎる聖書批評しか知らないというのでは、困るわけです。もし自主的な神学研修無しでそれでもうまくやれるとしたら、そもそも神学的能力を生かして牧会をしておらず、いわば「地」で牧会しているからではないかと思います。その弊害は、日本でも早晩さらに深刻な形で現れることが予想されます。(統廃合など簡単にいくはずがないので、共同牧会による兼牧が進むと考えられます。)ドイツに来て感心したのは、牧師の勉強会などでも、年少の牧師が堂々と意見をいい、それをきっかけに議論が深まることがあるということです。変な言い方になりますが、神学校で箸にも棒にもかからない伝道師が、地域の牧師会にいって揉まれて、5年くらいして何とか説教が出来るようになる、というのとはかなり異なる「共同的知性」のモデルを目にします。その際に、ドイツの牧師共同体では、良くも悪くも女性が主導権を握るということも書き添えておきます。

 3.
 さらに、信徒も当然神学教育を受ける可能性を持たねばなりません。有名なのは「説教者ライセンス」で、そのための学校もありますが、神学部を出て違う仕事をしている人がこのライセンスを持っていることもあり、また教団によってかなりシステムも違いますので、日本の文脈で言えばCコースをどう考えるかという課題に回すとして、ここでは正課の教育施設ではない、神学研修の可能性について知るところを書きます。
 教団は、神学部と共同して、定期・不定期に牧師向け、信徒向けの講演会を開き、神学的にホットなテーマを信徒にもわかりやすく話すことを試みています。ドイツでは大学の講義に市民が傍聴で参加することは許可不要です。そういった、開かれた知性の雰囲気の中で、市民講座もまた受け入れられているようです。私はハイデルベルクで大学に入るためのドイツ語試験の時の口頭試験で、ある面接官が私の志望学部を見て突然相好を崩し、「最近行った講演で、おどろおどろしい姿をした悪魔は存在しない、という趣旨のことを聞いたがどう思うか」という、全然本来のことと違うことを私に尋ね始め、そのやりとりが一応通じたのを確認した時点で、他の面接官との合議を経ずに私にその場で合格宣言を出してしまった(完全なルール逸脱)という笑い話があります。私はこの試験の時点で、すでに当時の神学生が全く同じ話題を何度も口にしているのを知っていました。つまり講演者であったタイセン教授は、大学の講義でも同じ関心を学生にぶつけていたわけです。各教授はさらに、何人かの学生のレポートの課題にも自分の関心のテーマを指定することがあり、そうして1年ほど経ってからどこかの雑誌に発表する、という事例をよく見聞します。

 特に2.と関連して、問題点と思われることを書き添えておきます。教会の、特に若手牧師層の「保守化」が顕著です。信仰的には過激なことをいわなくなったのがよいところですが、その一方で若干「建物」「財政」などにこだわりすぎる傾向が問題です。先に68年の運動を「既成の権力への反発」と書きましたが、「サラリーマン化した牧師像への反発」という側面も持っていました。これがなくなってきて、牧師の「権利」ということが当たり前のように語られるというのは、決してよいことではないようにおもいます。
 たとえば日本キリスト教団の文脈で、「教団の正常化の結果の一つとして、年次報告を出さない教会・牧師が処分されるようになるべきだ」という言い分がコミカルに聞こえることを想像していただければよいかと思います。現実問題として、ドイツの場合、説教で異端的なことを語って戒規を受ける事例はここ20年で1件しか知りません(もちろん20年で1件しか異端的な説教がないというわけでは決してありません。EKD加盟教会は総数で10万単位で存在しますので。なお復活を否定したリューデマン教授の事例が非常に有名で、これについては別途示したサイトアドレスに、私が以前教団新報に執筆した関係記事があります)が、年次報告を出さないと、締め切りから二週間経った時点で職務規則違反として教会裁判所に提訴され、職務停止になります。戒規違反と職務規則違反はドイツの場合全く異なっており、遅刻や年次報告未提出が扱われる「教会裁判所」は、現職の裁判官も名を連ねて教団(領邦教会)・EKDによる二審で構成されていますが、「教師の戒規」は教団での一審制です。日本では山口先生がすでに教会連合機関紙で昨年6月頃指摘しておられるように、二種類の規則制度がどちらも実効性を持つというのは、じっさいドイツ教会の保守化が職務規則寄りに進んでいるように、法的・倫理的に難しい問題をはらむことになります。たとえば、教師の同性愛は、今後職務規則で処理される公算が高いです。
 「継続教育」の必要が近年、あるいはさかのぼっても30年以内のことである理由は、ドイツの場合、(1)個人主義からくる牧師の孤立および(2)教会の脆弱化(いわゆる伝道の貧困)です。68年問題は単純に左翼思想の流入というより、もっと違う側面でも影を落としていると言えるわけです。先ほどは68年問題からドイツ教会は比較的早く立ち直ったと書きましたが、その克服の過程で若手牧師の「機構へのこだわり」、悪くいえば世俗化があったということです。これは日本キリスト教団の場合、日本という伝道途上国にあって教団そのものがもともと機構としての性格が弱いためにドイツとは違う歴史的経緯をたどることになります。私見では、左翼イデオロギー主義者と世俗主義者が緩やかに結びつく形で教団紛争の一方の軸となり、信仰と伝道・教会形成を教会的神学の枠で考える教団改革運動への賛同者が他方の軸になっている、と考えています。
 そして(1)牧師の孤立が、決して「教会の機構化」では打破できないのと同様に、(2)教会の脆弱化という課題にしても同じことです。イデオロギー克服としての神学的課題なのか、世俗主義者を許容した職務規則による機構的課題なのか、それともそれらを包括した教会的・神学的課題という領域が存在するのか、というのは現段階で曖昧なままドイツでは事態が推移しているように思います。私たちの日本キリスト教団において、教団紛争を左翼思想イデオロギーとの対決の問題として処理するのか、機構化の中に見られる世俗化の問題としても対応するのか、というのは(2)伝道とは何かというレベルの問題のみならず、改めて(1)神学教育・牧師教育のレベルにおいても問題になりうると言えるかもしれません。少し話題が広がりすぎたでしょうか。
2011/06/04


関連して
「ドイツ(バーデン)における教会と神学部の関係」
(教団新報特集原稿)
(紙面1)
(紙面2)


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